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9月, 2022の投稿を表示しています

伝統行事は旧暦でやろう!!

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 メンタル疾患の治療もかねて、保守思想を学んでいます♪   月日が経つのは早いもので、 もう6月も終わろうとしています。   ああ、7月だなあ・・・もうすぐ七夕になるよなあ・・・。 今年の七夕は、晴れるかな~~。雨なのかな~~。   そんなことをぼんやり考えていた時、 「あれ!?」と思いました。   そもそも、七夕って、旧暦で行われていたじゃん!! 旧暦だったら、七夕っていつ頃になるんだろう!?   ふと、疑問に思って、旧暦の七夕がいつか調べてみました。   何と、旧暦の七夕は、 8月22日 だあ!! まだ、1か月以上、先じゃん!!   8月下旬ならば、ほぼほぼ雨が降らないから、 そりゃあ、織姫と彦星は、綺麗に見えるでしょうよ・・・😬。 場所によっては、天の川がきれいに見えるでしょうよ・・・😬。   梅雨まっただ中の、新暦7月7日にやるから、   今年の七夕は、雨でした・・・・(><)  あいにくの雨で、織姫と彦星は、見えませんでした・・・(><)   っていう残念な結果になるんではなかろうか・・・。 もう、この際、七夕は、旧暦の7月7日やってはどうかと思います。 っていうか、もうこの際、 旧暦の頃から存在した伝統行事は、 全て「旧暦」でやってはいかがか !?   その方が、古来からの日本の季節感に合うし、 伝統にも合致するのではないだろうか? 今は、旧暦カレンダーなるものもあるので、 旧暦を辿るのは、超楽ですよ。自動計算ツールもあるので、問題なし。   明治になってから、日本は、欧米に合わせて太陽暦(新暦)を使い始めましたが、 それまで日本の暦は、太陰暦(旧暦)を使っていました。 月の満ち欠けを元に、暦を数えていたわけです・・・。 もともと、日本の様々な伝統行事は、 旧暦を元にやっていました。   1月から12月までの各月の和名称: 睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、 文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走   これらの名称だって、旧暦の下でつけられたものです。 旧暦下での季節感に応じて、つけられたものです。 新暦にそのままスライドしてしまうと、 やっぱり変です・・・。   例えば、「弥生」は...

突然、コ〇ナ陽性になる!!

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ここのところ、ブログを更新できずにおりました。   理由は、ついにここに来て、コ〇ナに感染したからです 💦 。   事の発端は、9月22日の夜。 仕事から帰ってきた夫の調子が悪く、夫は食事を終えると、 そそくさと寝てしまいました。   そして、次の日の23日。 夫が体の節々が痛い、手足が痺れると訴え始めました。 夫の熱を計ると、何と39度 👀 。 慌てて、バファリン A 錠を服用してもらい、 最寄りの休日診療所に電話をして受診相談をしました。   しかあ~し、電話に出た担当の人からは、 「バファリンを飲んだのであれば、今しばらく様子を見てみて下さい。 ロキソニンを飲んでもらっても構いませんよ・・・。 こっちに来ていただいても、限定的な薬しか出すことが出来ません。 検査も出来ません。」 と言われてしまいました・・・。   それは大変だ!!受診してもらわないと!!って感じではなく、 「来てもらっても、迷惑・・・ 😒 」って感じでしたね。   その後、バファリン A 錠が効いたのか、 夫の手足の痺れや、節々の痛みは消失しました。 夫はむしろ家で寝ていたがったので、 結局、休日診療所には行かなかったのですが、 何かモヤモヤしましたね。 まあ、あちらにもいろいろ事情があるんでしょうが・・・。   24日も夫の熱は、38度あり、夫はタラミのゼリーと麦茶以外 口にすることは出来ませんでした。 ちょうどこの24日の夜、私は家族と電話で話をしていたのですが、 話の途中で、唾液が気管に入ってしまい、 話が続けられなくなるほどむせ返ってしまいました。 かなり咳き込んだ後、のどのあたりの違和感が長く残り、 ぼんやりと、「誤嚥性肺炎ってこんな感じで始まるんだろうな・・・」と思いました。 この時、何となく、嫌な予感がしました・・・。   25日になって、予感が的中して、私も発熱。   熱は、最大で38度2分でした。 やっぱり38度を超えてくると、頭痛がしますし、 眼の奥が痛くなります。   そして、私も夫と同じく、...

秋冬に向けたメンタル疾患対策

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適応障害ないし初期のうつと診断されてから、11か月が経過しました。 現在は、1か月に1回のペースで近所の心療内科クリニックに通院しています。    診療に行くと、ここ1か月の調子を聞かれます。 「ここ1か月は、酷暑にうだりながらも調子よく過ごせたことが多かった」と伝えると、 先生は、「そうかそうか」とにこやかに頷いてくれました。   私は、冬に調子を崩すことが多いと感じていたので、 「これから冬に向かって調子を崩す日が出てくるんじゃないかが不安です」と 正直な気持ちを伝えました。   すると、先生は、 冬はどうしても天気が悪かったりして日光の量が減るので、 脳内のセロトニンの量が不足してしまう、 なので、特に午前中に、積極的に太陽の光を浴びた方がいい、 仮に太陽の光ではなくても、ヨドバシカメラなどの店舗に行って、 蛍光灯の強烈な光を1時間くらい浴びるということでも十分効果があるよ、 と教えてくれました。   ヨドバシの蛍光灯の光か・・・😞、 正直かなり強烈な光で苦手だったけど・・・、 そうか・・・メンタルにはいいのか・・・。    逆にいうと、これらの光が苦手だったというのは、 私の中でセロトニンが相当低下していたことの証かもしれません・・・。   それから、先生は、太陽光を人工的に作り出す機器の存在も教えてくれました。 種類は、いろいろありますが、 例えば、こんな感じ ↓ リンク まあ・・・、安い物から高い物までいろいろあります・・・💧   これらの機器は、もともと北欧で誕生しました。 北欧の食堂では、冬場これらの機器が大活躍するそうです。 みなさんもご存じのとおり、北欧の冬はほとんど太陽の光がさしません。 それで冬場にうつ状態になる人がたくさん出て大変なことになったので、 こうした機器が発明されたそうです。 これで、冬場のうつ状態を抜け出せた人が多かったのだとか。   もちろん、こんな機器を買わずとも、 午前中意識的に太陽の光を一定程度浴びたり、 天気の悪い日には、大型店舗に行って蛍光灯の光を浴びたり、 家でもきっちり蛍光灯の明かりを浴びたり、 卓上ライト(もちろん蛍光灯)を自分に直接あてるようにしたり、 そういったことでも、代替可能だそう・・・。 ...

くよくよしたときの対処法

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あ~!!あんなことやらなきゃ良かったあ~!! あ~!!ああ言えばよかったあああああ!! あ~!失敗したかも~!! あ~!!何やってんだ、わたしは~~~😱!!    仕事していると、よくそういうことを体験します・・・😰 もちろん、力不足というのもあるけど、 仕事である程度経験年数を経てくると、妙なプライドが出てきたりする・・・。 そうするとと、勝手に自分でハードルを上げて落ちこむといった事態になったりもします・・・。 これは負のループであり、放置しておくと、無力感が増幅していくことになります。   どこかで、気持ちを切り替えて、 「ま、いいか!!」って言える自分にならないといけません。   でも、私を含めて多くの人たちは、 家に帰っても、仕事の失敗等をひきずり、四六時中くよくよしてしまいます。  四六時中くよくよしていると、いずれ間違いなくメンタルをやられます😫  メンタルをやられると、頭痛、下痢、胃もたれ、 肩こりなどの様々な肉体の不快な症状も招くことになります・・・。   人生100年時代、どうせ長生きするなら、健康でいきいきしていたい!! そんなくよくよしてしまう人生から一刻も早く離脱したい!!と思うようになりました。 そうはいっても、これまで長い間くよくよしてきた積み重ねがあるのですから、 いきなり、それを変えることは出来ません。   そこで、自分なりに、 「くよくよしてしまう時の対処法」 を考えました。  私の対処法は、大きく分けて2つ。 ①強制的に思考停止に追い込むこと と、 ②別の事に没入するということ です。  まず、①強制的に思考停止に追い込むということですが、   私の場合は、 近所のサウナ に行きます。  70度くらいの高温サウナに12分くらい「ウオオオオオオ👿!!」って入っていると、 もう熱くて、何にも考えられなくなります(笑)。   その後の水風呂に入り、外気浴(風が吹いているところで涼む)をやると、 いい感じで思考停止になりますね!! サウナ→水風呂→外気浴を3~4セットやると、 いつの間にか、くよくよする気持ちがどこかに飛んでいってしまいます😃    私は、よく時間を見つけてサウナに...

緊急帝王切開時に体験した「不思議な出来事」

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 私は、40歳の時に緊急帝王切開で長男を出産しました。    緊急帝王切開になったのは、 2日間にわたる昼夜を問わない激しい陣痛にもかかわらず、 子宮口が最大7cmまでしか開かなかったからです (分娩をするには、10cmまで開く必要がある。)。   5分毎に来る激しい陣痛・・・ 陣痛測定器が最大限の数値を記録するような陣痛に、 丸二日間 襲われ、 身も心も本当に限界でした・・・😭。   そうこうしているうちに破水し、お腹の胎児が細菌に感染しないよう、 点滴で抗生物質を投与されることになりました・・・。   早く終わってほしい・・・ 5分毎にやってくる強烈な陣痛にもう何も考えることが出来ず、 意識がもうろうとしていました。 いきみ逃しのために、テニスボールを使って尾てい骨のあたりを抑えてもらうのですが、 強烈な陣痛が襲ってきていて、もう女性の力では話になりません・・・。 夫と父が、陣痛が来るたびに、 交代でテニスボールで私の尾てい骨あたりを強く抑えてくれていました。 夫や父も、私の強烈な陣痛に付き合うわけですから、とても大変な状態でした・・・。 そんな状態で、「あともう一日」と病院から言われ、 私の状況を傍でずっと見ていた実母が、 「このままでは娘とお腹の赤ちゃんがが耐えられない!! 何とかして下さい!!」と直談判して、ようやく産婦人科医の診察が実現。   その頃には、胎児が羊水の中で便をしてしまっていました・・・。   医師からは、 「胎児が骨盤を通り抜けられないようです。 羊水が便で濁ってしまっているので、このままだと胎児がぐったりしてしまう・・・。 帝王切開をさせて下さい」と言われました。  医師に呼ばれて説明を受ける時点で、 帝王切開になることは予想できていました。   私は、ぼんやりと母や夫を見まわしました。 そして「(帝王切開をして)いいよね?」と聞きました・・・。   夫は、大きく頷いていました。 母も、「大丈夫よ、帝王切開になる人なんてたくさんいるんだから。」 と言っていました。 私は、 夫や母の言動に励まされる形で、 帝王切開に同意する書面にサインをしました。 お腹を切ることへの恐怖心よりも、 はやくこの苦痛から逃れたい😥という思いで一杯で...

私が子供を産もうと決意した理由

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私は、39歳で妊娠し、40歳の時に緊急帝王切開で男の子を出産しました。 その子は、今や保育園児となり、毎日元気いっぱいに過ごしています。     私は、もともと子供があまり好きではありませんでした。 かつて自分自身も子供だったことがあるにもかかわらず、 子供ってうるさいし、何かよくわからない存在!!って思っていました。   自分の将来ということを考えたときにも、 「母親になる」というイメージは全く持てませんでした。 むしろ、母親になんかなったら、頭の中まで子供一辺倒になって、 常にカリカリしている羽目になる!!って思っていました。 「母親」というものに対して、どこかマイナスのイメージを持っていました。   そういったことで、 社会人になっても、そして結婚してからも、 「母親になる」という選択肢を全く持たないまま、 仕事、趣味、海外旅行、国内旅行、飲み会のはしご・・・ いろいろやってきました・・・。 それらは、とても充実していました😃。   ところが、30代後半になった頃から、 ふと、「このまま子供を産まない人生でいいのか・・・?」 という感情がふつふつと湧いてくるようになりました。 何かこう、体の内部から突き上げてくるような感情です。 その感情は、日を追うごとに強くなっていきました。  それと同時に、それまで楽しんでいた飲み会やら旅行やらが、 私の中で急速に色あせていきました・・・。   何をやっても色あせて見える・・・何か空しい・・・  私の人生本当にこれでいいのか・・・? 本当に子供を持たない人生でいいのか・・・? そう思う日々が多くなりました。   それでも、私の心の中には、依然として子供が好きではないという気持ちと、 「母親になること」に対するマイナスイメージがくすぶっていました。 「母親になること」「子供」に対する抵抗感も私の中に依然として存在していたのです。   そこで、 何とか、自分の気持ちに折り合いをつけようと、 インターネットで、「子供を持つメリット・デメリット」といったテーマの記事や 掲示板の投稿を漁ったりしました。   皆さんいろいろ言います・・・。 特に「子供を持つデメリット」に関しては、   自分の自由な時間が無くなる。...