私が子供を産もうと決意した理由
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私は、39歳で妊娠し、40歳の時に緊急帝王切開で男の子を出産しました。
その子は、今や保育園児となり、毎日元気いっぱいに過ごしています。
私は、もともと子供があまり好きではありませんでした。
かつて自分自身も子供だったことがあるにもかかわらず、
子供ってうるさいし、何かよくわからない存在!!って思っていました。
自分の将来ということを考えたときにも、
「母親になる」というイメージは全く持てませんでした。
むしろ、母親になんかなったら、頭の中まで子供一辺倒になって、
常にカリカリしている羽目になる!!って思っていました。
「母親」というものに対して、どこかマイナスのイメージを持っていました。
そういったことで、 社会人になっても、そして結婚してからも、
「母親になる」という選択肢を全く持たないまま、
仕事、趣味、海外旅行、国内旅行、飲み会のはしご・・・
いろいろやってきました・・・。
それらは、とても充実していました😃。
ところが、30代後半になった頃から、
ふと、「このまま子供を産まない人生でいいのか・・・?」
という感情がふつふつと湧いてくるようになりました。
何かこう、体の内部から突き上げてくるような感情です。
その感情は、日を追うごとに強くなっていきました。
それと同時に、それまで楽しんでいた飲み会やら旅行やらが、
私の中で急速に色あせていきました・・・。
何をやっても色あせて見える・・・何か空しい・・・
私の人生本当にこれでいいのか・・・?
本当に子供を持たない人生でいいのか・・・?
そう思う日々が多くなりました。
それでも、私の心の中には、依然として子供が好きではないという気持ちと、
「母親になること」に対するマイナスイメージがくすぶっていました。
「母親になること」「子供」に対する抵抗感も私の中に依然として存在していたのです。
そこで、
何とか、自分の気持ちに折り合いをつけようと、
インターネットで、「子供を持つメリット・デメリット」といったテーマの記事や
掲示板の投稿を漁ったりしました。
皆さんいろいろ言います・・・。
特に「子供を持つデメリット」に関しては、
自分の自由な時間が無くなる。
お金がかかる。
反抗期が大変。
子供が不登校になって大変な思いをしている。
子供のしたことに親が責任を取らされる。
自由に旅行に行けない。
などなど、いろいろな話が挙げられています。
私は、これらのデメリットを一通り読み尽くしました・・・。
それで・・・、「じゃあ、やっぱり子供を持つのを辞めよう!!」ってなったかというと、
なりませんでした~👀
こうしたデメリット記事をいくら読んでも、
「このまま産まない人生でいいのか?」という、
突き上げるような思いは、一向に無くなりませんでした。
むしろ、年齢を追うごとに強くなっていきました・・・。
そんなある日、たまたまテレビで、鮭の産卵シーンを観ました。
みなさん、ご存じのとおり、鮭は、産卵のために海から川に戻ってきます。
川に戻ってきたら、場合によってはクマに襲われたり、
釣り人に釣られたりするなど命の危険があります。
それでも、鮭は川に戻ってくるのを辞めたりはしない・・・。
産卵することを辞めたりはしない・・・。
「クマ怖いし・・・産むの辞めとこ~~😱」っていう鮭はいないわけです。
その事実にハッとしました👀
蚊もそう。人の血を吸うのは、メスの蚊だけ。
それも卵を産むときだけ、人の血を吸いにくるのです。
人間に、「パチン🙏」とされる危険を冒してまでやってくるのです。
それは、ひとえに子孫を残すため・・・。
「人間にパチンとされるの怖いし、産むの辞めとこ~~~😱」っていう蚊は、
おそらくいません・・・。
自然界の生き物。人間以外は皆そう。
そうやって、危険を冒しながらも例外なく子孫を残そうとする・・・。
人間だって、人間というものが誕生してからずっとそうでした。
どんなに悲惨な時代、過酷な時代だったとしても、
子供が生まれないという時代はありませんでした。
今よりもはるかに出産に命の危険が伴う時代でも、
食べ物が豊富でない時代でも、戦乱の時代でも、
福祉が未発達の時代でも、
女性たちは命がけで子供を産んできました。
今の感覚で言ったら、
「経済的に不安だし、明日をもしれないからとても子供なんて産めないよ~」
って話になりそうですが、 そうはならなかったわけです。
何故か?何で危険やリスクがあるにもかかわらず、
女性たちは子供を産んできたのか?
それは、「本能だから」。
自分の子供を産み、子孫を残すということが、
自然界の生き物たちの本能だからです。
人間も例外ではありません。
このように、子供を産もうとすることが、
人間の「本能」なのだということに思い至ったとき、
私は、自分が今までいかに思いあがっていたかをつくづく感じました。
今の時代、「産む権利」だとか「産まない権利」だとかいって、
いかにも、
子供を産む産まないが、
さも自分のコントロールできることであるかのような印象があります。
でも、本当はそうではない。
子供を産もうと思うことは、生き物としての「本能」。
「子供を持つメリットデメリット」などといった、そんな小手先の話で
どうにかなるものではありません。
事実、「デメリット記事」をさんざん読んだにもかかわらず、
私の中では、「子供を持つのを辞めよう!!」ということにはなりませんでした。
むしろ、年を重ねるごとに、
「子供を産まなくて本当にいいのか?」という心の声の方が強まっていきました。
それは、理屈ではなく、世間体だとかそういったものでもなく、
出産可能年齢の限界に近づきつつある私に対する「本能」からの警告でした。
子供を産むということ、子供を産もうと思うことが、「本能」であると気づいた時、
私は、その「本能」に従おうと思いました。
私だって、先人たちの、子供を産もうという「本能」があったからこそ、
この世に生まれることができたわけです。
どんな過酷な時代、どんな過酷な状態にあっても、
命をつなごうとしてきた先人たちの行動は、とても尊いと思いました。
そう思った時、
自分も、自分のもとに繋がれてきた「命」を
後の世につなげていきたいと思いました。
将来がどうなるかわかりません。
いわゆる産んだことによる「デメリット」に苦しむかもしれません。
でも、とにかくこの時は、そう強く思ったのです。
最終的に、私を後押ししてくれたのは、
小池百合子さんの著書でした。
本の内容や正確な記載内容は忘れましたが、
そこには、「子供を持たなかったのは、とてもつらい」という類の記載がありました。
当時、小池百合子さんは、女性初の総理大臣かと言われるほど勢いがありました。
そんなバリキャリの人でも、やはり子供のこととなると、そういう思いになるのか・・・😟
と思いました。
やっぱり産もう。
授かるかどうかわからないけれど、トライしてみよう・・・。
そう思いました。
こういった経緯で、私は、子供を産むことに決め、
そこから約半年後に妊娠し、出産することになりました。
今回、子供を持つか否かで悩んでいる知人女性から、
「決して子供好きではなかっためろんぱんさんが、子供を産もうと決心した理由は、
何だったのですか?」
と質問されたのを機に、
私が子供を産むことを決意した理由を書いてみました。
私が子供を産むことを決意した理由は、子供を産むという人間の「本能」に従ったから。
そして本能に従った理由は、自分も「自分自身が受け継いできた様々な先人たちの命」を
後世に受け継いでいきたいと思ったからです。
私の命は、私だけのものではありません。たくさんの人の「命」が伝えられて、
私という「命」があります。 私の「命」は、たくさんの先祖の命の集合体です。
結局、
子供を産むメリット・デメリットに関する記事を、
ネットで探し続けていても、子供を産むか否かの結論は出ませんでした。
デメリット記事をたくさん見ても、
私の中の子供を産もうという「本能」が消えうせることはありませんでした。
デメリット記事をさんざん読んで、
「あ~~!!もう絶対、産むの辞めておこう!!」って断固思い決められたなら、
産まない人生を選択したかもしれませんが、
私の場合はそうなりませんでした・・・。
もし、産むか産まないかで悩む人がいらっしゃいましたら、
さんざんデメリット記事を読みつくしたときに、
「あ~!!もう絶対産みたくない!!」って断固思えるか否かを基準に考えてみても
いいのかもしれません。
以上、「私が子供を産もうと決意した理由」について書かせていただきました。
何か少しでも参考になりましたら幸いです。
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