投稿

6月, 2023の投稿を表示しています

伝統行事は旧暦でやろう!!

イメージ
 メンタル疾患の治療もかねて、保守思想を学んでいます♪   月日が経つのは早いもので、 もう6月も終わろうとしています。   ああ、7月だなあ・・・もうすぐ七夕になるよなあ・・・。 今年の七夕は、晴れるかな~~。雨なのかな~~。   そんなことをぼんやり考えていた時、 「あれ!?」と思いました。   そもそも、七夕って、旧暦で行われていたじゃん!! 旧暦だったら、七夕っていつ頃になるんだろう!?   ふと、疑問に思って、旧暦の七夕がいつか調べてみました。   何と、旧暦の七夕は、 8月22日 だあ!! まだ、1か月以上、先じゃん!!   8月下旬ならば、ほぼほぼ雨が降らないから、 そりゃあ、織姫と彦星は、綺麗に見えるでしょうよ・・・😬。 場所によっては、天の川がきれいに見えるでしょうよ・・・😬。   梅雨まっただ中の、新暦7月7日にやるから、   今年の七夕は、雨でした・・・・(><)  あいにくの雨で、織姫と彦星は、見えませんでした・・・(><)   っていう残念な結果になるんではなかろうか・・・。 もう、この際、七夕は、旧暦の7月7日やってはどうかと思います。 っていうか、もうこの際、 旧暦の頃から存在した伝統行事は、 全て「旧暦」でやってはいかがか !?   その方が、古来からの日本の季節感に合うし、 伝統にも合致するのではないだろうか? 今は、旧暦カレンダーなるものもあるので、 旧暦を辿るのは、超楽ですよ。自動計算ツールもあるので、問題なし。   明治になってから、日本は、欧米に合わせて太陽暦(新暦)を使い始めましたが、 それまで日本の暦は、太陰暦(旧暦)を使っていました。 月の満ち欠けを元に、暦を数えていたわけです・・・。 もともと、日本の様々な伝統行事は、 旧暦を元にやっていました。   1月から12月までの各月の和名称: 睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、 文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走   これらの名称だって、旧暦の下でつけられたものです。 旧暦下での季節感に応じて、つけられたものです。 新暦にそのままスライドしてしまうと、 やっぱり変です・・・。   例えば、「弥生」は...

伝統行事は旧暦でやろう!!

イメージ
 メンタル疾患の治療もかねて、保守思想を学んでいます♪   月日が経つのは早いもので、 もう6月も終わろうとしています。   ああ、7月だなあ・・・もうすぐ七夕になるよなあ・・・。 今年の七夕は、晴れるかな~~。雨なのかな~~。   そんなことをぼんやり考えていた時、 「あれ!?」と思いました。   そもそも、七夕って、旧暦で行われていたじゃん!! 旧暦だったら、七夕っていつ頃になるんだろう!?   ふと、疑問に思って、旧暦の七夕がいつか調べてみました。   何と、旧暦の七夕は、 8月22日 だあ!! まだ、1か月以上、先じゃん!!   8月下旬ならば、ほぼほぼ雨が降らないから、 そりゃあ、織姫と彦星は、綺麗に見えるでしょうよ・・・😬。 場所によっては、天の川がきれいに見えるでしょうよ・・・😬。   梅雨まっただ中の、新暦7月7日にやるから、   今年の七夕は、雨でした・・・・(><)  あいにくの雨で、織姫と彦星は、見えませんでした・・・(><)   っていう残念な結果になるんではなかろうか・・・。 もう、この際、七夕は、旧暦の7月7日やってはどうかと思います。 っていうか、もうこの際、 旧暦の頃から存在した伝統行事は、 全て「旧暦」でやってはいかがか !?   その方が、古来からの日本の季節感に合うし、 伝統にも合致するのではないだろうか? 今は、旧暦カレンダーなるものもあるので、 旧暦を辿るのは、超楽ですよ。自動計算ツールもあるので、問題なし。   明治になってから、日本は、欧米に合わせて太陽暦(新暦)を使い始めましたが、 それまで日本の暦は、太陰暦(旧暦)を使っていました。 月の満ち欠けを元に、暦を数えていたわけです・・・。 もともと、日本の様々な伝統行事は、 旧暦を元にやっていました。   1月から12月までの各月の和名称: 睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、 文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走   これらの名称だって、旧暦の下でつけられたものです。 旧暦下での季節感に応じて、つけられたものです。 新暦にそのままスライドしてしまうと、 やっぱり変です・・・。   例えば、「弥生」は...

命とは・・・。

イメージ
 適応障害ないし、初期のうつと診断されて、 現在、1か月に1回のペースで通院治療を行っています。   昨日、「知人の死」というタイトルで、ブログを書きました・・・。 昨日は、梅雨空のように、心が重たくて、何も手がつかなかったのですが、 この「知人の死」というブログを書いたことによって、 昨日よりも、心が各段に軽くなりました。   もちろん、知人が生き返るわけではなく、 「若くして亡くなってしまった」・・・という事実は、全く変わりません。 悲しみや苦しみの根本となる事実は、何一つ変わっていません。   でも、自分の思いや感情を「ブログ」という形で文章化したことによって、 かなり心が楽になりました。 昨日の心の状態が嘘のようです・・・。     自分の思いや感情を言語化すれば、悩みは解決する(軽くなる)ということを 教えてくれたのは、 精神科医の樺沢紫苑先生 です。   樺沢先生は、 人に話す(相談する)、(紙やブログに)書く、行動する 、 といった、 アウトプット行為(言語化行為) によって、  悩みが消失すると述べています。 実際、「ブログ」に書くという形で、アウトプット( 言語化 )をしてみると、 樺沢先生の言っていることが、そのとおりだと納得できます。   「ブログ」を書くと、非常にガス抜きになるんです。 自分の中にたまりにたまっていた感情が、自分の外に排出されるので、 心が非常に軽くなるのです。 人に話すのも、ガス抜き効果として有効なのですが、 なかなか人に話しづらいことだってありますよね。   そういう時は、別にブログなんて言わずに、 紙にいろいろ思ったことを、書きなぐってみてはいかがでしょう。 人に見せるわけじゃないから、汚い字で殴り書きしてもいいし、 文章が支離滅裂だってかまわない。  そうすると、不思議なことに、 何一つ問題が解決していないのに、 心が軽くなってきます・・・。   また、自分の思いや感情を言語化すると、 自分の頭の中が整理されます。 そうすると、これからどうしたらいいのかという方策や 解決までの道筋が、 ぱっと思い浮かぶことがあります。 さらに、言語化すると、 人からアドバイスを受けられることもあります。 自分の中だけで...

知人の死・・・。

イメージ
適応障害ないし、初期のうつと診断され、 寛解を目指して治療中です。   先週は、メンタル治療を開始してから初めて、 特に不安な気持ちに支配されることなく、 車を運転することが出来るなど、好調な日々が続いていました。       ところが、今週の頭になって、突如の訃報・・・。 2か月前に、一緒に飲んだばかりの知人が、 突如、心筋梗塞でこの世を去りました・・・😭😭。   彼は、私よりも若く、健康優良児。 煙草は吸わないし、お酒もほどほど。 常に節制を保っていて、彼が酒を飲んで乱れるのを見たことがありません。   訃報を聞いた時には、とても信じられず、 なんかの悪い冗談かと思いました。   でも、冗談じゃなかった・・・。   訃報を聞いた日の夜は、ほとんど眠れませんでした・・・。   私は、奥さんのことも知っているし、上のお嬢さんは、うちの息子と同い年の5歳。 2か月前の飲み会で、ランドセルの話をしたときに、 彼から、「男の子なら、そんなに購入をあせらなくてもいいと思いますよ~!!」と、 言ってもらったことなどが、走馬灯のようによみがえりました。   飲み会のとき、元気だったじゃん!! 二次会まで来ていたじゃん!! ワインも楽しく飲んでいたじゃん!! 何で?何で?何で?  遺された奥さんや、まだ小さい子供たちのことを考えると、 悔しくて、残念で、たまりませんでした。   重たい気持ちを引きずりながら、本日、告別式に参加。 会場で、奥さんと挨拶しました。 夫を急に亡くして、一番辛くて悲しいであろうに、 奥さんは、気丈にふるまっておられました。 私は、ただただ平身低頭するだけで、何も言えなかった・・・😫😫。   こういう時、どういう言葉をかけるのがいいんでしょうかね・・・。   一般的には、「この度は、ご愁傷様でした・・・」と、 ごにょごにょ言うのかもしれないけれど、 この若き未亡人に対しては、 どんな言葉をかけても、陳腐で空々しくなるような感じがして・・・、 ただただ、平身低頭するしか術がありませんでした・・・。 何も言えなかった・・・。  告別式が終了した今、 何か、もっと言葉をかけてあげられなかったのか、と悔いが残り...

メンタル疾患になってから初めて、車の運転が出来るようになる!!

イメージ
 適応障害ないし、初期のうつと診断されて、現在メンタル治療中です。   今から4年ぐらい前、精神科に通う前から、不安が強く、 車の運転が全く出来なくなりました・・・。 何とか、運転しようと試みたのですが、 いざ、運転するとなると、強い不安から吐き気に襲われ、 どうしても、車を運転することが出来ませんでした。   事故るんじゃないか・・・😱とか、 急に車線変更をしなくてはならなくなった時に パニックになってしまうのではないか・・・とか、 いろいろ不安になってしまうのです。 そのため、車で外出する必要があるときは、 いつも夫に運転をしてもらっていました。 夫は、もちろん一人で自由自在に運転できます。 この日本では、老若男女にかかわらず、一人で車を運転して、 いろんなところに移動している人が多いですよね。 当たり前の話といったら、そうなんですけど、 勇気あるなあ~~ってつくづく思います・・・。   夫からは、「運転は、慣れだよ」と言われます。 そうなのかもしれません。 でも、車の運転が怖いって思っていまう私にとって、 一人で車の運転が出来る人は、スーパーマンでした(笑)。   都会は、ペーパードライバーが多いですが、 地方では、車を運転できないと、生活面で厳しかったりします・・・😭。 夫だけしか運転できないと、夫の負担が大きくなってしまいます。  私の家の近くには、電車が走っているので、 公共交通機関は、わりと発達しているのですが、 それでも、車の運転が出来た方が、何かと便利。   最低でも一家に一台は、車がある地域ですから、 ショッピングセンターが、だいたい車が無いといけない距離にあります。 この4年間、何度も運転を試みましたが、 精神的な不安が大きく、何度も運転を断念してきました。 それが、6月10日の土曜日。数日前のことです。 ふと、車の運転に挑戦してみよう・・・と思いました。   ここ、数か月。抗不安薬は、一切飲まずに過ごすことが出来ていました。 ゆううつ感にさいなまれるということも、かなり減っていました。 不安なことも、 「 心配事の9割は、実際には起こらない。 残りの1割も、何とかなる!!」 って、思えるようになっていました。 そして、前のブログにも書きましたが、 保守思想を学び...

保守思想に目覚めるまでの生い立ち③(メンタル治療)

イメージ
メンタル治療の一環として、保守思想を学ぶようになり、 今、自分のこれまでの生い立ちを振り返っています。     今日は、前回からの更なる続きです。   結婚後、10年ほど、夫と二人きりの生活が続きました。 この頃の私は、正直、あまり子供が欲しいと思っておらず、 仕事と趣味の旅行に没頭しておりました。   仕事は、結構忙しかったですが、そこは子供のいない気楽さ。 たびたび休暇をとって、夫と二人で国内外を旅行していました。 これまで訪れた外国は、14か国にのぼります。 日本国内も徳島県と佐賀県以外、すべての都道府県を訪れました。   この頃・・・といっても、30代ですが、 あまり自分の政治的信条を意識することは、ほとんどありませんでした。 投票には、必ず行っていましたが、いつも、民主党~立憲民主党に入れていました。 ただ、これは、民主党~立憲民主党を積極的に支持していたからではなく、 ただ単に、利権にまみれた自民党が嫌いだったからという理由にすぎませんでした。 左翼系の人と一緒にお仕事をすることもありましたが、 それは、あくまでも自分の仕事の一環であり、 特に自分の政治的信条が左翼か右翼かなんてことを、 意識したりはしていませんでした。   それが、出産を機に、私は、大きく変わることになりました。 息子が産まれたことで、 息子が生きていくであろう日本の未来について、 思いを馳せるようになったのです。    私の子供の頃より、間違いなく日本の経済力は落ちています・・・。 経済力だけじゃない、日本が大切にしてきた文化も壊されています・・・。 そして、何といっても、教育が問題だらけです・・・。  不登校児や自〇する子も多い・・・。   よく、世間では、子供の教育費のことが話題にのぼります。 子供に莫大な教育費がかかりすぎるから、子供をなかなか産めない・・・ という話も聞きます。 確かに、人一人増えれば、食費は増えるし、洋服代等もかかります。 学費もかかります。    でも、「莫大な教育費がかかる」って、果たして、本当にそうなんでしょうか?   何か、勝手に、大学や大学院に行くことが前提となっていませんか?   何か、勝手に、私立に行くこと...

保守思想にめざめるまでの生い立ち②(メンタル治療)

イメージ
メンタル治療の一環として、保守思想を学ぶようになり、 自分の生い立ちを振り返ってみることとしました。 前回の続きです。   小学校を卒業した後は、地元の公立中学校に進学し、 高校は、学区内の都立高校へと進学しました。 中学・高校では、歴史が一番の得意科目でした。   歴史科目というと、ひたすら暗記というイメージを持つ人が多いと思います。 しかし、私が通っていた中学校や高校では、歴史のテストで、論述問題が出ていました。 ある事件の背景や、その後の影響を論述させるのです。 年号は、ほぼほぼ出題されませんでした。   日々の授業も、どうしてこの事件が起こったのか? この事件には、どのような国、人物の思惑があったのか? この事件の結果、政治、社会、文化にどのような影響がもたらされたのか? そういったことを、先生が熱く語ってくれる授業でした。   なので、中学、高校の歴史の授業は、大変面白く、 50分の授業が、いつもあっという間でした。  歴史の成績は、いつも5段階評価の「5」で、 歴史の先生には、かなり目をかけられていたと思います。   「歴史」というものは、 様々な国・地域の人間たちの思惑によって作られているものなのだ!! ということを、痛烈に教えてくれたのが、この中学・高校の歴史の授業でした。  いろんな人々の思惑によって、事件は生じます。   このことが分かっていないと、こういう思惑で事が進んでいるよと 警鐘をならす人に対して、 「陰謀論」とレッテル張りをして、思考停止しちゃうんです。 すべての事件が何の意図もなく、 偶発的に起きるなんてことがあるわけがないじゃないですか(笑)。  それは、歴史を踏まえれば、明らかです。  「陰謀論」で片づけようとする人は、 歴史の学びが足りていない・・・私は心底そう思います。   このように、歴史の授業は実に楽しかったのですが、 「日本の歴史」について、 偏った歴史観が 私の中に生まれてしまったのは、大問題でした。 今でこそ、これらの歴史観が誤りであることを知っていますが、 当時の学校教育によって、私は以下の歴史観を持っていました。 1.縄文時代の終わりに、朝鮮半島から渡来人とともに稲作文化が伝わって、  弥生時代が開始した。...

保守思想に目覚めるまでの生い立ち①(メンタル治療)

イメージ
 メンタル疾患の治療のために、保守思想を学ぶようになり、 今一度、自分の生い立ちを振り返ってみることにしました。    そうすると、もともと私の思想の根底には、 保守的なものがあったにもかかわらず、 高等教育を受ける中で、左翼的な思想が植え付けられていったことがわかりました。 一つ、一つ自分の過去の出来事を振り返りつつ、自分がどんな思いで過ごしてきたかを 振り返ろうと思います。     私が、保守の精神に目覚めたのは、 おそらく、七歳の七五三の時だったと思います。   着物を着て、おめかしをして神社にお参りをしたとき、 金髪の白人女性に「写真を撮らせてほしい」と言われました。   私が、母に、「なんで私の写真を撮るの?」と聞くと、 母は、「日本の着物がきれいで珍しいからよ」と答えました。   「 そうか!!着物ってすごいんだ!! 」 😍😍😍  七歳の女の子が、 日本人であることに誇りをもった瞬間でした ・・・。  子供心に、将来、 着物を美しく着こなせる素敵な女性になりたい!! と強く思いました。   もともと、私は、東京の、皇居からそれほど遠くないところで育ちました。 皇居などから比較的近い地域であったせいか、 私が通っていた小学校は、 海外からの視察団をお迎えすることが度々ありました。   海外からの視察団をお迎えするときには、生徒たちが皆、 視察団の国の国旗を振って出迎え、歓迎の意を表します。 視察団の方に失礼があっては、いけません。 失礼があれば、日本という国の評判を落とすことにもなりかねません。  ですから、 手に持った国旗で、友達の頭をはたいたりしてはいけない、 悪ふざけをしてはいけない、 国旗はその国の人たちにとって、とても大事なものなので、 粗略に扱ってはいけない!! と、学校の先生から、徹底した指導を受けました。   また、私が通っていた公立小学校では、 毎週月曜日の朝礼は、必ず、日章旗の掲揚や国歌斉唱をやっていました。 運動会の時も、国旗掲揚をやっていました。 私は、国旗掲揚担当で、実際に君が代の曲に合わせて日章旗を掲揚したこともあります。 こうした行事を通じて、日章旗や君が代が、 この日本国にとってどれ...

保守思想って何?

イメージ
自分のメンタルを改善したいと思って、 「保守思想」を学びはじめたのですが、 自分の心の中を洞察したり、自分の過去を振りったりしてみると、 自分の根底には、もともと「保守思想」があったのに、 その後の教育で「左翼思想=リベラル思想」が上書きされていたことがわかりました。 そりゃ、私の人生、混乱するわ・・・💦   その話については、今度しますが、 そもそも「保守思想」って何でしょう?   改めて問われると、 なかなか明確に答えられる人は、いないんじゃないかなって思います。   中には、「保守思想」=軍国主義、全体主義ってイメージでとらえられている人も いるんじゃないでしょうかね・・・。 恥ずかしながら、以前の私は、そう思っていました(苦笑)。 だから、「保守」って私の中では、マイナスイメージが強かった・・・。  「保守」だと言われたくないという気持ちが、私の中に長らく存在していました。   そんな時、YouTubeで、京都大学大学院の藤井聡先生の動画を観ました。 動画の中で、藤井先生が、「僕は、保守だから。」と堂々とおっしゃっていたのに、 衝撃を受けました。   「あれ?『自分が保守である』って堂々と言えるもんなの? 保守って軍国主義なんじゃないの?」  そこから、今まで自分が思っていた「保守」の意味が違っているんじゃないかと 思い、「保守思想」って、どんなものなのかを調べるようになりました。   一言でいうと、 「保守思想」というのは、 先人たちが守り伝えてきた文化、伝統、信仰、哲学を守ろうとする思想です。   ですので、日本の場合ですと、 2600年続いている皇統、神社に代表される信仰、 日本語、日本文化、和食等を守ろうという思想 ということになります。   国ごとに守ってきたものが違うので、 一口に「保守」といっても、その内容は、国ごとに違うことになります。  アメリカの「保守」と日本の「保守」は、守ろうとするものが違うのです。 な~んだ!!全然、軍国主義や全体主義と違うじゃないか!!   どういうわけか、日本では、 「保守」と軍国主義がごっちゃになってしまっている感があります。 これは、左翼系教育界、左翼系マスコミの策略かもしれません・・・。 ...

「教育勅語は軍国主義である」という誤解

イメージ
 保守思想を学ぶようになってから、 生まれて初めて 「教育勅語」(きょういくちょくご) の中身を知りました。   「教育勅語」とは、戦前の教育において、 教育の重要な柱の一つとして用いられていましたが、 敗戦後、アメリカにおける占領政策下で禁止されることになりました。  それ以降、我々は、学校の歴史教育の中で、   「教育勅語」=軍国主義的思想=戦争賛美思想、   な~んて教えられてきました。 今でも、政治家が国会で「教育勅語」について触れると、 左翼系マスコミや左翼系政治家から「軍国主義を賛美するのか!!」と、 罵られます・・・。 でも、「教育勅語」って、本当に、軍国主義的なんでしょうか? 戦争を賛美するような危険思想なのでしょうか? っていうか、   我々は、そもそも、「教育勅語」の中身がどうなっているのかさえ、教えられていないじゃないか!!     中身も教えられず、ただただ危険思想だとしか、教えられていない!! それって、絶対おかしいじゃないか😈😈!! そう思って、「教育勅語」の中身を読んでみることにしました。 とは言っても、原文は、現代の人には難しいので、現代語訳を上げますね。 戦前の人は、ちゃんと意味が解って、原文を諳んじることが出来たんですよね~~。   (「教育勅語」現代語訳)   「国民の皆さん、 わたしたちの祖先は、建国した時から道義道徳を大切にするという 大きな理念を掲げてきました。 全国民が国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、 今日に至るまで素晴らしい成果をあげてこられたのも、 我が国の優れた国柄によるものであります。 教育の根本はこの国柄を反映したものでなくてはなりません。   国民の皆さん、 親には孝養を尽くしましょう、 兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合いましょう、 夫婦は、仲睦まじくしましょう、 友人同士は、信じあいましょう。 そして、自分の言動を慎み、すべての人に博愛の手を差し伸べましょう、 学問に励み、職業に専念し、社会公共に貢献しましょう、 法律や社会秩序を守ることはもちろんのことですが、 非常事態が発生したならば、 勇気を振り絞って祖国のために真心を尽くしましょう。   これらを実践することは、善良な...