保守思想に目覚めるまでの生い立ち①(メンタル治療)
- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
メンタル疾患の治療のために、保守思想を学ぶようになり、
今一度、自分の生い立ちを振り返ってみることにしました。
そうすると、もともと私の思想の根底には、
保守的なものがあったにもかかわらず、
高等教育を受ける中で、左翼的な思想が植え付けられていったことがわかりました。
一つ、一つ自分の過去の出来事を振り返りつつ、自分がどんな思いで過ごしてきたかを
振り返ろうと思います。
私が、保守の精神に目覚めたのは、
おそらく、七歳の七五三の時だったと思います。
着物を着て、おめかしをして神社にお参りをしたとき、
金髪の白人女性に「写真を撮らせてほしい」と言われました。
私が、母に、「なんで私の写真を撮るの?」と聞くと、
母は、「日本の着物がきれいで珍しいからよ」と答えました。
「そうか!!着物ってすごいんだ!!」 😍😍😍
七歳の女の子が、日本人であることに誇りをもった瞬間でした・・・。
子供心に、将来、着物を美しく着こなせる素敵な女性になりたい!!と強く思いました。
もともと、私は、東京の、皇居からそれほど遠くないところで育ちました。
皇居などから比較的近い地域であったせいか、
私が通っていた小学校は、
海外からの視察団をお迎えすることが度々ありました。
海外からの視察団をお迎えするときには、生徒たちが皆、
視察団の国の国旗を振って出迎え、歓迎の意を表します。
視察団の方に失礼があっては、いけません。
失礼があれば、日本という国の評判を落とすことにもなりかねません。
ですから、
手に持った国旗で、友達の頭をはたいたりしてはいけない、
悪ふざけをしてはいけない、
国旗はその国の人たちにとって、とても大事なものなので、
粗略に扱ってはいけない!!
と、学校の先生から、徹底した指導を受けました。
また、私が通っていた公立小学校では、
毎週月曜日の朝礼は、必ず、日章旗の掲揚や国歌斉唱をやっていました。
運動会の時も、国旗掲揚をやっていました。
私は、国旗掲揚担当で、実際に君が代の曲に合わせて日章旗を掲揚したこともあります。
こうした行事を通じて、日章旗や君が代が、
この日本国にとってどれだけ特別な意味を持つのかを、徹底して教えられました。
また、小学生時代、私は、海洋少年団に所属していました。
海洋少年団では、数々の公的な式典に参加しましたが、
その際、国旗に敬礼をするのは、当たり前でした。
国旗に対する不敬なふるまいがあれば、めちゃくちゃ怒られましたよ・・・💦。
私は、自国の国旗や国歌にすら敬意を払えない人間が、
他国の国旗や国歌を、尊重できるわけがないと思っています。
経験上、断言できます。
だって、そうした人間は、そもそも「国旗」や「国歌」といったものの重み自体を
理解できていないわけですからね。
今後も国際交流は、活発に行われていくことでしょう。
そうした中で、「恥ずかしい日本人」を作らないためにも、
小中学校での国旗・国歌に対する啓発が必要であると思います。
小学校3年生の時、
私は、近所のスイミングスクールに通うことになりました。
そのスクールは、在日韓国人の先生が多く所属するスクールでした。
運営母体も、韓国と深いつながりがあり、
スクールの受付スタッフも韓国人の女性でした。
その韓国人女性は、おそらく当時30歳代ぐらい、
日本語が堪能で、よく私の話し相手になって下さいました。
時は、1980年代。
この韓国人女性も、多少、今でいうところの反日的なところがありました。
ある時、この韓国人女性と着物の話になったことがあります。
その時、この女性から「日本の着物は、地味で貧乏くさい」と言われました。
七歳の時から、着物に対する強い誇りをもっていた私に向かって、
そんなことを言うのです・・・。
当然私は、かっとなりました。
かっとなった私は、「派手ならば、いいってもんじゃない!!😡😡」と言い返しました。
言い返したとき、私の脳裏には、やたら原色バリバリの韓服が浮かんでいました。
確かに、原色バリバリの韓服に比べたら、
日本の着物は、中間色が多いし、渋い着物もあります。
でも、それでも高価で、世界の人々の憧れの民族衣装の一つでもあります。
それを貧乏くさいってなんだ!!
着物を馬鹿にするのか!!
私の心は、怒りでいっぱいでした。
この事件がきっかけで、
当時小学生だった私は、韓国の人たちに反発を覚えるようになりました・・・。
こうして、小学校のときに、国旗と国歌の大切さを教えられてきたわけですが、
その一方で、私の周りでは、国旗と国歌に対する思いを複雑にする事件も、
頻繁に起こっていました。
小学校の授業を受けていると、時々、
ものすごい音量で軍歌が流れてくることがあったのです。
いわゆる、「右翼の街宣車」でした。
今は、あまり見かけなくなりましたが、
私が小学生や中学生だったころ、
よくこの「右翼の街宣車」が日章旗や旭日旗を掲げて、
君が代や軍歌を流しながら、公道を走っていました。
この自称右翼の方々は、2月11日の祝日の日に共産党系の人たちと、
いつも一触触発状態になっていました。そのため、よく警察が出動していました。
この「右翼の方々」は、言葉遣いも乱暴だったので、
子供心に、「右翼って怖い」と思うようになりました。
こうした右翼の街宣車が、日章旗や旭日旗を掲げ、
君が代や軍歌を大音量で流していたことから、
私の中では、「右翼って怖い」「日の丸、君が代=右翼」っていう図式が
出来上がりつつありました。
このように、私の小学校時代というのは、
学校や海洋少年団で、日章旗や君が代の大切さを教わりながらも、
右翼の街宣車の影響で、「日の丸、君が代=右翼」「右翼は怖い」「右翼は軍国主義」
というイメージを持ってしまっておりました。
現に、祝日に、日章旗を掲げている家を見ると、「この家は、軍国主義か?」って
思ってましたしね。
この頃から、私の中に、
日章旗や君が代に対する矛盾した気持ちが芽生え始めていました・・・。
<続きは、また今度。>
- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ