伝統行事は旧暦でやろう!!

イメージ
 メンタル疾患の治療もかねて、保守思想を学んでいます♪   月日が経つのは早いもので、 もう6月も終わろうとしています。   ああ、7月だなあ・・・もうすぐ七夕になるよなあ・・・。 今年の七夕は、晴れるかな~~。雨なのかな~~。   そんなことをぼんやり考えていた時、 「あれ!?」と思いました。   そもそも、七夕って、旧暦で行われていたじゃん!! 旧暦だったら、七夕っていつ頃になるんだろう!?   ふと、疑問に思って、旧暦の七夕がいつか調べてみました。   何と、旧暦の七夕は、 8月22日 だあ!! まだ、1か月以上、先じゃん!!   8月下旬ならば、ほぼほぼ雨が降らないから、 そりゃあ、織姫と彦星は、綺麗に見えるでしょうよ・・・😬。 場所によっては、天の川がきれいに見えるでしょうよ・・・😬。   梅雨まっただ中の、新暦7月7日にやるから、   今年の七夕は、雨でした・・・・(><)  あいにくの雨で、織姫と彦星は、見えませんでした・・・(><)   っていう残念な結果になるんではなかろうか・・・。 もう、この際、七夕は、旧暦の7月7日やってはどうかと思います。 っていうか、もうこの際、 旧暦の頃から存在した伝統行事は、 全て「旧暦」でやってはいかがか !?   その方が、古来からの日本の季節感に合うし、 伝統にも合致するのではないだろうか? 今は、旧暦カレンダーなるものもあるので、 旧暦を辿るのは、超楽ですよ。自動計算ツールもあるので、問題なし。   明治になってから、日本は、欧米に合わせて太陽暦(新暦)を使い始めましたが、 それまで日本の暦は、太陰暦(旧暦)を使っていました。 月の満ち欠けを元に、暦を数えていたわけです・・・。 もともと、日本の様々な伝統行事は、 旧暦を元にやっていました。   1月から12月までの各月の和名称: 睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、 文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走   これらの名称だって、旧暦の下でつけられたものです。 旧暦下での季節感に応じて、つけられたものです。 新暦にそのままスライドしてしまうと、 やっぱり変です・・・。   例えば、「弥生」は...

保守思想にめざめるまでの生い立ち②(メンタル治療)

メンタル治療の一環として、保守思想を学ぶようになり、

自分の生い立ちを振り返ってみることとしました。

前回の続きです。

 



小学校を卒業した後は、地元の公立中学校に進学し、

高校は、学区内の都立高校へと進学しました。

中学・高校では、歴史が一番の得意科目でした。

 

歴史科目というと、ひたすら暗記というイメージを持つ人が多いと思います。

しかし、私が通っていた中学校や高校では、歴史のテストで、論述問題が出ていました。

ある事件の背景や、その後の影響を論述させるのです。

年号は、ほぼほぼ出題されませんでした。

 

日々の授業も、どうしてこの事件が起こったのか?

この事件には、どのような国、人物の思惑があったのか?

この事件の結果、政治、社会、文化にどのような影響がもたらされたのか?

そういったことを、先生が熱く語ってくれる授業でした。

 

なので、中学、高校の歴史の授業は、大変面白く、

50分の授業が、いつもあっという間でした。 

歴史の成績は、いつも5段階評価の「5」で、

歴史の先生には、かなり目をかけられていたと思います。

 

「歴史」というものは、

様々な国・地域の人間たちの思惑によって作られているものなのだ!!

ということを、痛烈に教えてくれたのが、この中学・高校の歴史の授業でした。 

いろんな人々の思惑によって、事件は生じます。

 

このことが分かっていないと、こういう思惑で事が進んでいるよと

警鐘をならす人に対して、

「陰謀論」とレッテル張りをして、思考停止しちゃうんです。

すべての事件が何の意図もなく、

偶発的に起きるなんてことがあるわけがないじゃないですか(笑)。 

それは、歴史を踏まえれば、明らかです。 


「陰謀論」で片づけようとする人は、

歴史の学びが足りていない・・・私は心底そう思います。

 

このように、歴史の授業は実に楽しかったのですが、

「日本の歴史」について、

偏った歴史観が 私の中に生まれてしまったのは、大問題でした。

今でこそ、これらの歴史観が誤りであることを知っていますが、

当時の学校教育によって、私は以下の歴史観を持っていました。


1.縄文時代の終わりに、朝鮮半島から渡来人とともに稲作文化が伝わって、

 弥生時代が開始した。

2.仏教などあらゆる先進文化が朝鮮半島から日本に伝来した。

3. 豊臣秀吉は、戦功をあげた武将たちに与える国内領土が不足したため、

  朝鮮半島に出兵した。

4.江戸時代は、士農工商といった厳しい身分制度が敷かれていて、

  農民は非常に貧しかった。

  江戸幕府は、キリスト教を禁止し、キリスト教徒を弾圧した。

5. 昭和初期、日本は、アジア諸国を侵略した。

6.太平洋戦争に負けたことによって、それまでの軍国主義が無くなり、

  日本には、民主主義国家が成立した。

 

その後、いろいろ学んで、わかったことですが、

これら6つは全て噓だった~~~😡😡😡!! 

これらは、左翼的歴史観・自虐史観でした~~!!

 

嘘つき!!教育委員会!!

中学生や高校生に嘘を教えた罪は重いぞ!!


高校生になってから、大学受験のために、大手予備校に通うようになりました。

そこの日本史の講師が、バリバリの左翼だった!!(笑)

だいたいの講師の先生は、学生時代に中核派とかに所属して、

ゲバ棒を振るっていた人たちでした・・・。 

 

もちろん、どの先生も大変な人気講師。

授業はいつも満杯で、講義も大変面白かった。

ですが、やはり、授業に左翼色が出ます・・・(苦笑)。

 

「日本は、縄文時代後期以降に、

朝鮮半島から稲作を含めて優れた先進文明を教えてもらったのに、

その恩を忘れて、昭和初期に朝鮮半島を侵略し、植民地化した。」

特に、近現代以降の歴史については、そのような語られ方がなされていました。

 

また、北方領土問題や沖縄の基地問題に対して、「もう北海道と沖縄を手放して、

本州だけで、平和を守っていったらいいんだ」という話をする先生もいました。

 

「ふざけるな!!👿👿」と言いたくなりますが、

当時のこの大手予備校は、こんな感じだったのです。

当時、何も言い返さず、「ふ~ん」と聞いていた私は、

間違いなく、これらの先生方の左翼思想に洗脳されていました。

 

当時の私は、「愛国心」なんていうと、

危険思想の持ち主だと言われるんじゃないかという恐怖心があり、

「愛国心はあるか?」と聞かれても、無いと答えていました。

そんな私を見かねて、「愛国心を持つことは大事だよ」と

教え諭して下さる人もいました。 

こうした人がいたことは、本当に救いでした・・・。




その後、大学に進学しましたが、

ここで、私はフェミニズムの影響を強く受けるようになりました。

 

この日本において、女性は常に虐げられてきた!!

今こそ、女性の権利を!!女性の社会進出を!!

家制度は、女性を縛る封建的な制度だ!!

と、本気で思っていました。

 

そうしたフェミニズムの影響が色濃くでたのが、 

私自身の結婚式でした・・・。

和服が大好きな和式の人前式を行ったのですが、

私は、結婚式場の「〇〇家と〇〇家の結婚披露宴」という表記が大嫌いでした。

 

何で、家と家の結婚という風に表記するのか~👿!!ってなり、

表記を「〇〇〇〇(私の氏名)ご親族」「〇〇〇〇(夫の氏名)ご親族」という風に

変えてもらいました。

 

そして、多くの結婚披露宴では、

新郎と、新郎の父が挨拶をすることが多いと思いますが、

これについても、

「自分の結婚式なのに、何で新婦は、ただただ座っているだけなんだ!!

飾りじゃないんだぞ!!😈」 ってなり、

新婦である私も、挨拶をすることとなりました。しかも締めの挨拶を(笑)

幸い、私の締めの挨拶は、出席者に大好評だったようですが・・・、

当時の私は、若かったと言えば、それまでなのですが、

どう考えても、めんどくさい人間でしたね・・・😣


 でも、どこか、自分が自分じゃないような気がしていたのも事実です・・・。

 

次回に続きます。

 


 

 



 

このブログの人気の投稿

メンタル疾患になってから初めて、車の運転が出来るようになる!!

伝統行事は旧暦でやろう!!

命とは・・・。