保守思想にめざめるまでの生い立ち②(メンタル治療)
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メンタル治療の一環として、保守思想を学ぶようになり、
自分の生い立ちを振り返ってみることとしました。
前回の続きです。
小学校を卒業した後は、地元の公立中学校に進学し、
高校は、学区内の都立高校へと進学しました。
中学・高校では、歴史が一番の得意科目でした。
歴史科目というと、ひたすら暗記というイメージを持つ人が多いと思います。
しかし、私が通っていた中学校や高校では、歴史のテストで、論述問題が出ていました。
ある事件の背景や、その後の影響を論述させるのです。
年号は、ほぼほぼ出題されませんでした。
日々の授業も、どうしてこの事件が起こったのか?
この事件には、どのような国、人物の思惑があったのか?
この事件の結果、政治、社会、文化にどのような影響がもたらされたのか?
そういったことを、先生が熱く語ってくれる授業でした。
なので、中学、高校の歴史の授業は、大変面白く、
50分の授業が、いつもあっという間でした。
歴史の成績は、いつも5段階評価の「5」で、
歴史の先生には、かなり目をかけられていたと思います。
「歴史」というものは、
様々な国・地域の人間たちの思惑によって作られているものなのだ!!
ということを、痛烈に教えてくれたのが、この中学・高校の歴史の授業でした。
いろんな人々の思惑によって、事件は生じます。
このことが分かっていないと、こういう思惑で事が進んでいるよと
警鐘をならす人に対して、
「陰謀論」とレッテル張りをして、思考停止しちゃうんです。
すべての事件が何の意図もなく、
偶発的に起きるなんてことがあるわけがないじゃないですか(笑)。
それは、歴史を踏まえれば、明らかです。
「陰謀論」で片づけようとする人は、
歴史の学びが足りていない・・・私は心底そう思います。
このように、歴史の授業は実に楽しかったのですが、
「日本の歴史」について、
偏った歴史観が 私の中に生まれてしまったのは、大問題でした。
今でこそ、これらの歴史観が誤りであることを知っていますが、
当時の学校教育によって、私は以下の歴史観を持っていました。
1.縄文時代の終わりに、朝鮮半島から渡来人とともに稲作文化が伝わって、
弥生時代が開始した。
2.仏教などあらゆる先進文化が朝鮮半島から日本に伝来した。
3. 豊臣秀吉は、戦功をあげた武将たちに与える国内領土が不足したため、
朝鮮半島に出兵した。
4.江戸時代は、士農工商といった厳しい身分制度が敷かれていて、
農民は非常に貧しかった。
江戸幕府は、キリスト教を禁止し、キリスト教徒を弾圧した。
5. 昭和初期、日本は、アジア諸国を侵略した。
6.太平洋戦争に負けたことによって、それまでの軍国主義が無くなり、
日本には、民主主義国家が成立した。
その後、いろいろ学んで、わかったことですが、
これら6つは全て噓だった~~~😡😡😡!!
これらは、左翼的歴史観・自虐史観でした~~!!
嘘つき!!教育委員会!!
中学生や高校生に嘘を教えた罪は重いぞ!!
高校生になってから、大学受験のために、大手予備校に通うようになりました。
そこの日本史の講師が、バリバリの左翼だった!!(笑)
だいたいの講師の先生は、学生時代に中核派とかに所属して、
ゲバ棒を振るっていた人たちでした・・・。
もちろん、どの先生も大変な人気講師。
授業はいつも満杯で、講義も大変面白かった。
ですが、やはり、授業に左翼色が出ます・・・(苦笑)。
「日本は、縄文時代後期以降に、
朝鮮半島から稲作を含めて優れた先進文明を教えてもらったのに、
その恩を忘れて、昭和初期に朝鮮半島を侵略し、植民地化した。」
特に、近現代以降の歴史については、そのような語られ方がなされていました。
また、北方領土問題や沖縄の基地問題に対して、「もう北海道と沖縄を手放して、
本州だけで、平和を守っていったらいいんだ」という話をする先生もいました。
「ふざけるな!!👿👿」と言いたくなりますが、
当時のこの大手予備校は、こんな感じだったのです。
当時、何も言い返さず、「ふ~ん」と聞いていた私は、
間違いなく、これらの先生方の左翼思想に洗脳されていました。
当時の私は、「愛国心」なんていうと、
危険思想の持ち主だと言われるんじゃないかという恐怖心があり、
「愛国心はあるか?」と聞かれても、無いと答えていました。
そんな私を見かねて、「愛国心を持つことは大事だよ」と
教え諭して下さる人もいました。
こうした人がいたことは、本当に救いでした・・・。
その後、大学に進学しましたが、
ここで、私はフェミニズムの影響を強く受けるようになりました。
この日本において、女性は常に虐げられてきた!!
今こそ、女性の権利を!!女性の社会進出を!!
家制度は、女性を縛る封建的な制度だ!!
と、本気で思っていました。
そうしたフェミニズムの影響が色濃くでたのが、
私自身の結婚式でした・・・。
和服が大好きな和式の人前式を行ったのですが、
私は、結婚式場の「〇〇家と〇〇家の結婚披露宴」という表記が大嫌いでした。
何で、家と家の結婚という風に表記するのか~👿!!ってなり、
表記を「〇〇〇〇(私の氏名)ご親族」「〇〇〇〇(夫の氏名)ご親族」という風に
変えてもらいました。
そして、多くの結婚披露宴では、
新郎と、新郎の父が挨拶をすることが多いと思いますが、
これについても、
「自分の結婚式なのに、何で新婦は、ただただ座っているだけなんだ!!
飾りじゃないんだぞ!!😈」 ってなり、
新婦である私も、挨拶をすることとなりました。しかも締めの挨拶を(笑)
幸い、私の締めの挨拶は、出席者に大好評だったようですが・・・、
当時の私は、若かったと言えば、それまでなのですが、
どう考えても、めんどくさい人間でしたね・・・😣
でも、どこか、自分が自分じゃないような気がしていたのも事実です・・・。
次回に続きます。
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